8.22.2013

ささやかなロック青年にまつわる滑稽な出来事4 -最終-

ベッドから体を起こして周りを見渡すと、
その部屋には家具と呼べるようなものがどこにもなかった。

あるのは小さなテーブルがひとつだけで、
その上には灰皿と、山のように積み上げられた吸い殻、
何かを書いたが満足できなかったのか、走り書きされたメモが
くしゃくしゃになって何枚か転がっていた。

部屋の雰囲気からすればそこは到底日本とは思えず、
タイやフィリピンなどの東南アジアにありそうな安宿といった感じだった。

だが窓の外を見ると、少し遠くの方に見慣れた家電量販店の看板が見えた。
そこはタイでもフィリピンでもなく、ただの池袋だった。

俺は頭が少し痛んだが、すぐにでもそこを立ち去りたかったので、
ベッドに転がっていたバッグを手にとって部屋を後にした。
緑色の猿はどこにもいなかった。

部屋があったビルは、あの猿に出会った場所からさほど離れていない場所に
あったようで、迷うことなく元の道に出ることができた。

あの猿はいったい何だったのか。
話をする猿なんて聞いたことがないし、もしかしたら夢だったのだろうか。

だが、猿が夢だったのだとしたら、俺をあの部屋に運んだのは誰か。
実際にこの街に来たことはたしかで、どうして俺は眠ってしまったのか。
辻褄を合わせるのは、どうにも難しそうだった。

俺はそんなことを考えながら、池袋の大通りに戻った。
いつも通りに車が行き交い、人々は忙しそうに歩いている。
ティッシュ配りのアルバイトが、タバコを吸いながらティッシュを配っている。

普段と変わらない光景なはずだったが、
俺はすぐに街が異常な状況になっていることに気が付いた。

行き交う人々全員がニワトリの頭の着ぐるみを被っていた。

頭から下は今までと何も変わりはなかった。
これまで通りスーツやコートを着ている。
しかし、往来している全員が、車を運転している人も、
手をつないで歩いている子供も、全員ニワトリの頭の着ぐるみを被っていたのだ。

そしてそのことに誰も違和感を感じている様子がなかった。
何かのイベントのように、浮き足だった様子もない。

それはごく当たり前の日常として人々が受け入れているようだった。

俺はしばらくその場に呆然としていたが、やがて我に返り、
この状況を整理しようと努めた。

根本的な謎を解明すべく、俺は街を行き交う一人のニワトリに声をかけた。

「あのー、すいません。」

「はい?」

くちばしが俺の方を向く。
頭がニワトリなので表情はわからなかったが、
少し訝しげなトーンだった。

「どうして皆さんニワトリの着ぐるみを被っているんですか?」

そう質問した時、何かが変わったような気がした。
時間が止まってしまったかのような、そんな感覚だった。

俺は視線を感じたので、周りを見渡してみた。
全員が足を止めて、俺を見ていた。

スーツ男も、ティッシュ配りも、子供も。

車を運転していた人は、信号が青か赤であるかに関わらず、
全員が車を止め、車内から俺を見ていた。

まるで世界が一瞬で凍り付いたかのように、
誰も微動だにせず、音も立てず、くちばしを俺に向けていた。

「・・・」

俺が質問をしたニワトリが何かをつぶやいた。

「え?」

俺は聞き返した。
ニワトリはこう答えた。

「if you want to be a hero,well just follow me.」

「?」

何のことかわからず、困惑していていると、
再びニワトリは答えた。

「if you want to be a hero,well just follow me.」

すると俺の周りにいるニワトリ達も一斉に同じことを
つぶやきはじめた。

「if you want to be a hero,well just follow me.」

気が付けばその街にいるニワトリ全員が、俺に向かって
この言葉をつぶやいていた。

「if you want to be a hero,well just follow me.」
「if you want to be a hero,well just follow me.」
「if you want to be a hero,well just follow me.」

ニワトリ達は次第に詰め寄るように、俺に近づいてきた。
俺はニワトリ達に完全に取り囲まれ、逃げることができなくなった。
なおもそいつらは同じ言葉を投げかけた。

「if you want to be a hero,well just follow me.」
「if you want to be a hero,well just follow me.」
「if you want to be a hero,well just follow me.」

俺は完全に混乱し、恐怖した。
冷や汗が流れた。
体は震え、吐き気がして俺は口を押さえた。

想像を超えた出来事にどう対処してよいかわからなくなった。
すべてが異常な状況で俺は目をつぶって
「もうやめてくれ」と心の中で叫んだ。

次の瞬間、すべての音が止まって目が覚めた。
そこはいつもの見慣れた白い天井があり、
窓の外には暗闇が広がっていた。

俺は昼寝をしていたようだ。
すっかり夜になってしまっていた。
体中から汗が噴き出していた。

冷静になればこんなことは現実には起こらないとわかるが、
俺はしばらく夢と現実を切り分けられずにいた。
夢にしてはあまりに生々しい体験だった。

ようやく頭がはっきりしてきて、すべてが普段の状態に戻ると
俺はようやく落ち着きを取り戻した。

そんな時、俺の携帯に電話がかかってきた。
電話の相手はいつも俺が話している馴染みの男だった。

今から会わないか、と短く告げられ、俺は構わないと答えた。

1時間後、俺は2人の男と吉祥寺で会った。
そいつらは音楽をやっていて、俺も以前は一緒にバンドを組んだ仲だった。

音楽の話だろうと察しはついていたが、カフェの椅子に座ってしばらくすると
片方の男がこう切り出した。

「もう一回一緒にやってみる気ある?」

その声はさほど深刻なものではなく、リラックスしたものだった。
決して何かを強要するようなトーンではなく、俺に選択を委ねるような、
そんな声の調子だった。

しばらくそのことについて話をしていると、
その男は上着を脱いで半袖になった。

まだまだコートが必要な時期なのに、半袖を着ているのは珍しかった。
俺はなんとなく半袖になったその男を見たが、腕にタトゥが彫られていることに気づいた。

何か文字が彫られている。

その文字を読み終わった時、俺はあの時と同じように冷や汗が
流れるのを感じた。

そうだった、こいつの腕にはあの文字が彫ってあったのだ。

if you want to be a hero,well just follow me.

俺は再びあの夢のことを思い出し、恐怖が甦ってくるのを感じた。
池袋の街とニワトリの被りモノをした集団。

体が小刻みに震え、吐き気がした。
ここが現実であることもわからなくなるほどのパニックだった。

だから腕に例のタトゥが彫られたそいつに

「どうよ?もう一回やってみる?」

と改めて尋ねられた時、俺は完全にわけがわからなくなっていたし、
冷静さも失っていたから、ただただ

「コケエエエエエエエエェェェェーーー!!!!(やります)」

と答えるしかできなかったのだ。





おしまい